KOBELCOの歴史
History

1905年
鈴木商店、初の重工業部門として
「神戸製鋼所」創立
神戸製鋼所は、1905年に合名会社鈴木商店が、神戸・脇浜において小林清一郎氏の経営する小林製鋼所を買収したことを発祥としています。
日露戦争後の日本海軍が民間工場育成方針を採る中で、呉海軍工廠を始め、舞鶴、横須賀の各工廠より技術指導を受け、また注文を受けることでその規模を拡大しました。
その後、1911年に鈴木商店から分離し、神戸市脇浜町に「株式会社神戸製鋼所」として設立しました。

1914年
国内初空気圧縮機を開発
機械事業スタート
国産初の空気圧縮機を開発し、機械系事業の起源となります。
私たちの生活の身近にありながら、あまり知られていないのが、「圧縮機」です。例えば、歯科で口の中を掃除してくれるエアーや、ゴルフ場・ボーリング場で足元や手元を清掃してくれるエアー。これは、空気圧縮機から吹き出されるものです。神戸製鋼がそのパイオニアとなったのがこの年でした。

1926年
国内初のセメントプラント完成
エンジニアリング事業スタート
国内初の総合的セメントプラント(日産能力450トン)を完成、日本セメント佐伯工場に納入しました。これをきっかけにエンジニアリング事業が発足します。

1930年
国産第一号の電気ショベル完成
建設機械事業スタート
国産第一号の電気ショベルが完成し、それに伴い建設機械事業が発足します。
神戸製鋼所(現・コベルコ建機)が南満州鉄道の撫順炭鉱での露天掘り用に受注したもの。ショベルの衝撃で回転が急に止まって過熱するなど使用条件が極めて厳しく、担当者は満州に何度も呼び出されてメンテナンスに明け暮れたといいます。製品は改良され、200K型などさらに大形の製品も撫順炭鉱で使われました。

1940年
国内初溶接棒の生産開始
溶接事業スタート
国内初溶接棒の生産を開始し、それに伴い溶接事業が発足します。
初めて神戸製鋼が被覆アーク溶接棒の製造を手掛けたのは1930(昭和5)年。まず社内の補修溶接用として手塗り棒の生産を開始しました。その後、海軍と協力して高級溶接棒の国産化に成功、B-17が誕生しました。
戦中の1943(昭和18)年に被覆アーク溶接棒専門工場である日高工場が完成しています。

1955年
国産初の工業生産開始
チタン事業スタート
国産初の工業生産開始に伴い、チタン事業が発足します。
1949年日本で初めてチタンの研究開発に着手、どこよりも長いチタンの歴史があります。神戸製鋼所は、今となってはチタンの溶解から最終製品まで手がける一貫メーカーとなりました。

1962年
日本初のプラント輸出
海外プラント事業スタート
1962年に、日本企業において初めての海外プラント輸出となる肥料プラントを現在のバングラデシュに設立しました。

1970年
神戸製鋼所最大の製鉄所
加古川製鉄所完成
鉄鋼一貫体制の神戸製鋼所最大の製鉄所。条鋼・鋼板を中心とする高付加価値の鉄鋼製品を国内及び世界各地に送り出しています。
神戸製鋼所の鉄鋼生産の80%を担う加古川製鉄所の稼動により、神戸製鋼所は鋼板も手がける総合鉄鋼メーカーとなりました。現在3基の高炉で稼動しています。

1979年
国際統一商標として
「KOBELCO」ブランド制定
グループブランドである「KOBELCO」の由来は、神戸の製鋼所を表す「KOBE STEEL」、会社を表す「LCO」からなる造語となります。

1995年
鉄鋼事業の象徴
神戸製鉄所の高炉損壊
日本に大きなダメージを与えた阪神・淡路大震災の被災。
神戸製鋼所も例外ではなく、多大な被害が出ました。神戸製鉄所(現在の神戸線条工場)では鉄鋼事業の象徴の高炉が損壊してしまいましたが、2ヶ月半で高炉を再稼働させるなどし、神戸の震災復興のシンボルとなりました。

2002年
神戸発電所
営業運転を開始
神戸製鉄所(現在の神戸線条工場)の既存インフラや製鉄事業での自家発電のノウハウなどを最大限に活用した新規事業として、神鋼神戸発電所を建設し、2002年度より電力供給事業を開始しました。

1905年
神戸製鋼所創立

1914年
国内初空気圧縮機を
開発開始

1926年
国内初の
セメントプラント完成

1930年
国産第一号の
電気ショベル完成

1940年
国内初溶接棒の生産開始

1955年
チタン事業スタート

1962年
海外プラント事業スタート

1970年
加古川製鉄所完成

1979年
KOBELCO誕生

1995年
阪神・淡路大震災被災

2002年
神戸発電所始動